究極の教育【言う、言わない?】
日常の中に潜む【幸せ】。目の前に転がっている小さな小さな石”それが幸せ”です。当たり前のようで、当たり前なことはきっとない。ありがとうの連続です。
究極の教育【言う、言わない】
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あるお母さんの話。
「お母さんただいまぁーー!!」
ある日、小学1年生の娘が学校から帰ってきました。
お母さんは、
「こら!!!!ちゃんと靴を並べなさい」
娘「はーい・・・。」
こんなことを毎日続けていました。
また別の日
お母さん「こらぁ!!!靴を並べなさいって何度いったらわかるの!?」
娘「わかってるよ!!(あーめんどくさい!!)
この子どもは、20歳になっても靴を並べることができませんでした。
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また別の、あるお母さんの話です。
「お母さんただいまぁーー!!」
ある日、小学1年生の娘が学校から帰ってきました。
お母さんは、
「・・・・(何も言わず、脱ぎ捨てた靴を並べる)」
こんなことを毎日続けていました。
また別の日
娘「お母さんただいまぁーー!!」
お母さん「・・・痛たたたぁ(娘には何も言わず脱ぎ捨てた靴を並べる)」
娘「・・・お母さん、どこか痛いの?」
お母さん「ううん、大丈夫よ」
娘「・・・私の靴・・ごめんね」
お母さん「靴を並べるのはね、”人の為””に繋がっているんだよ。並んでいたほうが、次通る人が綺麗ってもらえるでしょ。だから大事なことなの」
その子どもは次の日から、しっかり並べることができるようになりました。
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前者・後者のお母さんの教え方
前者のお母さんは、
「私は言っている、ちゃんと教育している。言ったのに言うこと聞かない娘が悪い」と言っている。私が言ったのに、言うこと聞かない!じゃないんだ。確かに言った方が手っ取り早いし、その場は改善するだろう。でも結局、娘は何も身につかなかった。ましては母に対しても悪い印象だけが残ってしまった。
後者のお母さんは、
「・・・(後ろ姿で正しいことをみせる)」。何も言わないことは、その場で改善は見受けられないだろう。そしてこの子どもは、言わなければずっと同じ事を繰り返すだろう。でも、娘が私のせいでお母さんに迷惑かけている、と思った瞬間からそれは一生の宝物の変わった。その子どもは、その他のことにも気づけるようになっていった。
どちらがいいとか悪いとかではないが、
なぜそうするのか、その意味は何なのか、誰の為になっているのか。気持ちや想いを伝えれていないお母さんが非常に多い。
お母さんの力量で、子どもの成長度合いは変わる。何が大切で、何を敬い、何を考えていくか。そして友達を大切に、人を大切にできるかはこの時からすでに構成されています。
言えばその時だけ、でも気づけば一生の宝物
「この子ならきっと気づいてくれる」そんな教育をできますか?
信じて何日も何日も本人が気づけるように、忍耐強く貫き通せますか?
その人の一生の物を身につけさせることは、そう簡単ではありません。
教育とは「信じること」
その子が気づいたとき、
あなたは人生の宝物をプレゼントできているかもしれません。
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過去にアップしたブログ記事です。当たり前の日常に潜む幸せ。それに気づけた瞬間「幸せ」になれます。ほんの5分で泣ける。そんなブログです。