これだけはいいたい
これだけは言いたい!!
すごく偏ったことをあえて言います!!
「足を組んで、ご飯をたべるな!!!!」
様々なシーンで・・
あるときは弁当などの自前お昼ご飯に、
あるときは従業員食堂に、
あるときは飲食店に、
あるときは・・・
いろんなシーンで、食事をとることがあります。
私は、その””足を組んで食べたこと”は一度もありません。
私がしていないから、とか
誰かがしているから、とか
正しいとか、間違いとか
もちろんそんなのはないと思う。
メリットもデメリットも分かっているし
見栄を張ったり心を落ち着かせたり大きく見せたり・・・
そんなことだって分かってる。
でもここではそれを抜きにしても
”足を組んで食事してほしくない””んです。
足を組まない・組んではいけない理由
今日はハンバーグ定食を食べるとします。
そのハンバーグになる前には数多くの手がかかっています。
それだけでも非常に感謝に値することです。
だって自分一人だけでは、育てることも
挽肉にすることも出来ないからです。
でも大切なのはそれだけではありません。
ハンバーグを焼いてくれる人がいて
ハンバーグを焼く前にこねてくれる人がいて
ハンバーグを挽肉に加工してくれた人がいてくれて
挽肉になる前の牛(うし)を育ててくれた人がいてくれて
そして、今まで生きていたその””牛の命””を殺して食肉へと加工してくれる人がいて。
されどハンバーグ、でもそのハンバーグでも大切な”命”を頂いて
今、私達は当たり前のように食事をとっている訳です。
『忙しいから』
『仕事柄立場が』
そんなの関係ありません。
人として、どう考えるか。ただそれだけです。
食事はたった30分です。コース料理などでは長くても2時間~3時間です。
なぜその瞬間、その時間を我慢して”足を組まない””ことができないのか。
その命を頂くために”何年もの月日”がかかっています。
その生き物にもし心があるとしたら、あなたはどう思いますか?
もしかしたら、
その生き物にもまだ何かやり残して死にたくないことがあるかもしれません。
もしかしたら、
明日もあさっても大自然を走り回れると思っていたかもしれません。
もしかしたら、
大好きなあの子『ずっと一緒にいようね』約束を交わしていたかもしれません。
もしかしたら・・・
あるテレビをみて改めて知ったこと
ある医療系のドラマにて
小さな女の子は昔から病気で、小腸の病気で移植しなくてはならない程の重症でした。それに加えて肝臓の病気も発覚し、その女の子は手術して移植する方法しか生き延びる方法がありませんでした。
でもドナーが見つかりません。
でも、ある日その女の子よりさらに小さな女の子が病院に運ばれてきて医師から”もう目を覚ますことはない”と。
その両親は、その子どもの心臓が生きているうちにドナーとして病院に提供することに決めました。
そして、手術は成功。
女の子は、一人ではいきていくことができない状態だった。
普通の日常が送ることができなかった。
でも命を頂くことができたから、今を生きていける
『今まで味わうことができなかった日常が、どれほど素晴らしいことなのか。今私は毎日かみしめて過ごしています。女の子が繋いでくれた命をずっと大切にしていきたい』
そうやってドラマは終わっていく。
尊い命”敬う心”
ここで言いたいのはこれだけ。
『足を組んで食事をしないでほしい』
そこには敬い、尊い、そんな命があります。
できれば
”手を合わせて、頂きます”と言うこともしてほしい。
そこまでして初めて食事ができるのではないでしょうか。
1日3食、食べれている人はそれが当たり前かもしれません。
1日1食しか食べれないひとが3食、食べることができたらそれはとても幸せなことかもしれません。
きっと両手合わせて、心の底から『ありがとう、頂きます』と。
そう言って笑顔で食事している人もいます。
忘れないでほしい。
当たり前でないことを。
何かの”命”を頂いて今を生きていることを
足を組むその”プライド”はその””命”を超えることが
できますか?
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過去の”感謝”や”当たり前”ではないことを綴ったブログです。